急に?となった
結局、無錫結果提示されても本人の性格自体はよくわからない気がしてきた。
今まで大分診断しきたが、自分自身の性格がよくわからん。そう思う機会が増えたから、かもしれない。
分析結果は、本人の性格を誇張したり、一面を切り取ったりしていると思う。
なので、結果を提示されるよりも、本人の振る舞いをつぶさに観察したほうが、よくわかる気がする。
性格というものは、本人からにじみ出るものなので、わざわざ削ぎ落とした結果を見なくて良いみたいな。
逆に、決めつける要素が生まれる可能性があるので、毒にもなりかねない。
また、分析結果を元に自分自身の振る舞いを変化させるとしても、削ぎ落とされている分、違和感のあるものになってしまう気がするので、鵜呑みにするのも危険な気がした。
「潜在的な性格」を持ち出されるのだとしたら、そもそも隠された部分すらにじみ出るはず。
そもそも、性格診断をすることをメリット・デメリットで考えてはいけなく、これは話のふくらし粉として使われるような題材であると考えれば、そこまでめくじら立てるようなことでもないか(立ててないが)。
人数がたくさんいるような場所では、機械的に分類するために役に立ちそう。
振る舞い
この言葉を見ると、どこかしらオブジェクト指向味を感じないでもない。