命題: pならばq
pを「できちゃった」 qを「結婚する」
と考えると組み立てやすいね。
思想: できちゃったならば、結婚する
逆: qならばp
結婚するならばできちゃった
裏: pでないならばqでない
できちゃってないならば、結婚しない
け来ちゃったので
対偶: qでないならばpでない
結婚してないならば、できちゃってない
ん!!?これは偽だ!
人間、結婚してなくても、できちゃってるじゃん!
ってことは、
できちゃったならば、結婚する
も偽じゃん!!!
というか、、、、
できちゃってないならば、結婚しない
ということはないわけで、これも偽
結婚するならばできちゃった
ということは、これも偽
全部偽じゃん!!!!!!
前提・条件をできちゃったとしたときに、その結論である結婚は全く関係ないことがわかるね!!!!!
気持ちの問題!!!!!
終わりに
発端は「結婚しちゃったでき」という言葉を世に放てという天啓が下ったこと。
いち生き物としては出来ちゃった婚が「王道」タロットカードでいう「正位置」という認識である。
社会の一員としては、結婚しちゃったできが「王道」、「正攻法」という認識である。
私はどちら側というわけではないが、揶揄っぽい言われようがなんとなく鼻につき、もう一方も同じ表現で捉えてみた。
こうしてみるとやはり「ちゃった」とつけるとマイナスのニュアンスが含まれそうな匂いが出てくるのがわかる。
これからは、できちゃった婚という言葉を使った人に対しては「結婚しちゃったでき」を使っていくべきである。
とはいえ、当然それぞれのメリット・デメリットがあり、トレードオフがあり、ある視点からはどうでもよいことは肝に銘じるべきである。