ジョジョの奇妙な冒険では「覚悟」がテーマの一つとなっているようだが、恥しらずのパープルヘイズを読んで、思ったことをメモっておく。
投影的な性格
ある人間に対峙したときに、自分の性格が際立つ。ある嫌悪は、自分自身がもしやってたら嫌悪してしまうような部分、となる。
ミッションのような遊び
何かしらのゴールを設けて、放ったらかしにしているだけで、求める結果が勝手に得られるようなこともある。
悟りを開く?
覚悟は、仏教用語では、迷いを去り道理を悟ること
となっている。
じゃあ道理ってなんなのか。
判断の難しさ
一般論がある上で、ケースバイケースで判断しなくてはならないこともある。
1つの側面を見れば、Aとしか判断できないようなことも、他の側面をみればBともCとも言えそうということはざらにある。
判断に性欲が寄与する時
常にモテるもてないを限界突破した領域で考えなくてはならないと思う。
自我的には目先のモテを意識してしまいがちである。
また、モテるな・モテないなというささやき声によって、行動を抑圧しがちである。
そんなささやき声は最終的に無視して構わない。
別に好きって思われようが、嫌われようがかまわないのではないか?
ただ、次の一歩を踏み出す勇気を。
苦しみが取り除かれますようにという意思が大事な気がする。
出かかっている結論
掛けてきた年月やリソースが大きいほど、手放せなくなるが、そういうときでも自分自身の心の動きをきちんとみはらなければならない。
結局やるべきことは、実はもう決まってるはず。
このままずっととどまり続けるには、何が必要かは本人にしかわからないはず。
淡々と自分の感情、思ってることを周囲の状況に応じてジャッジメントするべきって話になる。
最終的に、本来の感情を隠蔽し、論点をすり替え、ごまかし続けても、いずれは明らかにしなければならないときが来る。