極端な例を想像する
例えば私が女で、彼氏が「推しを推しに友達とBBQに行ってくる」と言ったとしよう。友達は例えば学校のサークルなどで知り合ったグループの友達。
BBQはだいたい10人くらいのグループで開かれ、彼氏はその「推し」にアイドル的情念を抱いている。
彼氏は定期的にその「推し」に会いに行くわけであるが、別に特に話すというわけでもなく、グループでカラオケに行ったときに歌を聞いたり、たまに一発芸大会が開催されたときにダンス踊ってたりするのを鑑賞したりする。
で、彼氏側から積極的に声をかけることはないが、周りのみんなもよくプレゼントを送っているので、それをきっかけにたまにプレゼントを送ったりして、その女は受け取ってくれるわけである。そのときに、必ず握手してくれるらしい。
その子は、彼氏いるかもしれないし、いないかもしれない。
本人は、「いまは学業に専念☆専念☆彼氏なんていないし、つくらないよ!」と言っている。
そんで、私には「推し」なので問題ないと説明してくるわけである。
と、なると
「私を推せ!!!!!!」である。
その後何度も繰り返されると怒りと悲しみと憎しみの余り、あやめてしまう可能性も出るため、別れることになる。
推したくなる気持ち
特定感情とは、複合的でもあるが例えば以下のようなものに分類される。
- 楽しい
- 擬似的恋愛感情
- 癒やしの気持ち
- 尽くす気持ちの発揮
- がんばっている人を応援したいそして、応援のフィードバックを得たい。なにかの拍子にチャンスあるんじゃないかと思いたい
- なにもない自分でも何かを与えた気持ちになれ、実際にフィードバックがある
- ランダムで「フィードバック」という形で報酬がもらえる
- 仲間意識
- 人を好きになりすぎるのを防ぐ(気持ちの分散)
- 恐怖心
- 好きになりすぎる恐怖
- 格下になる恐怖
- 恐怖心
基本的には、少なくともポジティブな感情になるために推すことになる。
感想
これは、相手が上記のような感情を異性に対して抱いているかもしれないわけなので、自分いる意味あるか?と思ってしまうわけである。
極端な例を設けると、わかりやすかった。
もし癒やし要素が高い異性の健全な友達がいたら、ほぼアイドルと効果は一緒だな。
アイドルは関係性希薄だから「趣味の尊重」という延長線上でギリ許せているだけで、ほんとうは許せないのだろう。
アイドルと比べて、相対的にお金をかけてそこまで推す価値はないと思われているわけなので、そういうことである。