買って何を感じるかはある程度予測がつくものである。
- 品質のいい肉を食べる
- うまいのはそりゃそうだと成るだけな気がした。
誕生日ということで特別視して、何かをするのがよくわからないのである。
もちろん、年末年始のような、今年一年を振り返ったり何だりするのには節目としては有効に思える。
が、自分を祝うという感覚がなんだろうと思う。
あとは、何かもらっても抵抗感なく受け取れる日という感覚もあるかもしれん。
というわけで、誕生日とは相手に適当な言い訳を付けて物資を提供し、自分の心の動きの観察をする日だと思う。
なんか戒め的でうんざりすることもある。
もちろん喜んでもらって嬉しいの要素はあるけど、どちらかと言うと、相手が認知できない領域を認知させるのが好きな感じがする。
思うとしたら
高級な品物や逸品みたいなものも、「こんな技術の集大成はすごい」「これはこんな工夫がほどこされていていい」のように思いやすいとは思う。
100円ショップの意外に便利なものや、も「5円があるよ」でも同じレベルの深みは得られるような気がする。
やっぱ金かけた分、思おうとしているだけだわ。と思ってしまう。
偶像とグッズ
なにかのグッズを飼ってしまうと、そっちに引っ張られてしまうような気がしてしまう。
この身から生成できると思ってしまうのである。
ガチャガチャなど数百円のフィギュアくらいならなんとなくいい。
1万円もするようなグッズを買ってしまうと、自分でその価値を創造性のなさを強調してしまうような気がしてしまう。
持ってることがすごいみたいな部分が強化されてしまって、何かが台無しになりそうである。