最近久し振りに一方的に知っている人々の情報が入ってきて思った。
「なぜ私はこの人達と関わらない世界線に来てしまったのか?」
なんとなくわかってきた気がした。
棲み分けされた結果なんだなって思った。
方向性が変更され続ける
人は日に日に方向性がアップデートされる。
その積み重ねによって別の地帯に棲むようになっていった気がする。お互いに。
思い返してみると種族としては同じ生物は近くにたくさんいたのだが、環境の適応度や認知できる対象・認知しない対象が違いすぎたんだろう。
そんでそこがずれとなり、合わないなと思い思われた結果を見た気がした。
自分に対して言えることは、よくもわるくもハイパーマイペースだったからで特に世間や人に趣味面で無理に合わせようという気もなかったからっぽい?わからん。
覚えようと思わない現象
具体的名称をどうでもいいと思う体質のため、車の名前も人名も特に覚えようという気にすらならない人種だった。
多分、覚えたところで使う機会もないし、つまらんに思っているからだと思う。
(最近は人間が作成したものにつけるネーミングや販売する動機やらに多少興味が湧いてきたので幾分マシになったきがするが)
そんなわけで、そういう具体性を帯びたものの差がわかりにくくなる気もする。
例えば、なにか買う時、その時発揮しうる最大限のパフォーマンスで商品を精査しつつ、売っている人の人物像+気分によって購入する感じになる。
ゆうてもコストにかんじる
別に必要ないもの、「田舎以外の車」「喰わないのに釣り道具」「ゴルフセット」「無駄に装飾された衣類」
は単純にコストに成ると思っていたが、そんなこともなさそうということが最近わかった。
そういうのをヨシとしている人間間には通ずるものが有るからね。
とはいえ、どうでもいいと思いつつも、どうかと思うので、やはりそういう事実を知りつつも、
多少は興味を持ちつつも、どうでもいいと思う対象については思い続けることになりそうである。
多分あんまりいい印象ない理由としては
「しらないの?!w」みたいなマウント取られて「アホなのかこの人?」と思ってしまった経験が多かったからかもしれん。
「Elixerというプログラミング言語があるけど、え?あなたしらないの?w」と言われてみ。私と同じ顔してるよ。
単純に「高級」をちらつかせて多角的にマウントとってくるところが、何がしたいの感を感じるからだろうか。
具体的名称を使わずに特定する
何かを特定するときに、副次的情報で婉曲的に表現しざるを得なくなる。
例えば、「原宿の北東らへんにあるおとなっぽいおしゃれな街」のように、具体的名称
原宿は最近覚えたので実績解除して使えるようになった言葉の一つである。
しらん人には伝わらないが、知っている人に伝わりそう。
これくらいの位置情報さえ仕入れておけば、現代は検索が可能なので、そこまで問題ないという考えもあるからこそな気がした。
こんな感じでこれから先も多分適当に覚えていくんだと思う。