いいやすい
四字熟語風になっていて非常に言いやすい。
というわけで、そこだけ切り出されているような気もする。
また、題材としてよく取り扱われ、我が事にもなりやすい分、意識しやすかったり、考えやすかったりする。
他の願望と比べる
基礎的な願望
私は一日の中で、大便願望が強いと思うし、体温維持願望も強い。
基本的に生存願望が強いのであろう。
まずは今日一日を凌ぎたいと思っているし、中長期的に生存したいとも無意識で思っている。
昔はなかった願望
また、おっぱいもみたい願望もときおり感じる。
そして、おぱもみ願望は持続性が強い。ふと頭をよぎってはいやいや、馬鹿な考えはよせと、考え直す次第である。
そう考えると、社会から与えられるような、他者との関係によって得られる称号(つまり制度上の結婚)というのにあまり興味がないというだけな気がしてきた。
効用を重視
しかし、最近は社会に片足突っ込む期間が長くなり、「婚姻」の社会的メリットを無視せざるを得なくなってきている気がする。
たしかに、結婚したら契約によって相手方を拘束できたり、ステータスになったりするわけで、「社会」ではなんとなく生きやすそう。つまり生存に有利に思えてしまう。だが、これは錯誤である。
「結婚」したならば生きやすいのではなく、生きやすかったので「結婚」という状態になっても大丈夫という話である。
というわけで、結婚の実際の効用はバイアスがひどいため、そのへんを考え始めたら何かが終わってきている証拠なので、気をつけた方が良い。
実績解除の効用
国という運営が用意した実績解除バッチとそこまで変わらない気もしてくる。
多少の特典がつくなど。
というわけで、結婚することで他者に対して、「バッチ」を見せびらかすことができ、自分の優越感や自尊心を満たすこともできる。
他に見せびらかせるようなものがないため、そういうことになるのだという見方もあるが、そういうことでもない人もたくさんいる。
実績難易度が非常にちょうどよく、社会的にもプラスというところもあいまっていると思っている。
錯誤の果てに
結局考えなくてはいけないのは、「適合者の出現を待たないわけはなく、待たない」というところであろう。
すなわち、なにもしなくてよく、自分の中の抵抗感や苦しさを減らしつつも、自己観察する方向性がまだよさそうである。
言い換えるなら
結婚願望をムチで叩かれたい願望にたとえるとわかりやすい。
別にムチで叩かれたいとは特別思わないけど、まあありか、くらいの感じである。
また、ムチで叩かれることによって、副次的なメリットあるかもしれないけど、今の自分はそのメリットを享受しなくても十二分にやっていけるなと思うわけである。
体感したことのないメリットはメリットと考えにくいし、逆に何も知らないくせにメリットはこうに違いないと捉えてしまうと、依存につながってしまうような気がして、回避しているところもある。
しかし、実際に経験してみないとなんともいえないところもある。しかし、人の人生において、全てを体験するのは不可能なわけで、何かが呼び水となってその現象が顕れるような気持ちで、過ごせばよいのかもしれない。
最近の構造
そんなこんなで引き続き結婚という言葉には注意しなくてはならない。
結局ナイフでも言葉でも使う人次第ということである。
言葉が一種の道具でもあることを肝に銘じて生きたいと思った。