結果
マスターに到達した。
ほぼ2年(1年と11ヶ月)かかった。
FPS系PCゲーほぼ未経験者としては、上出来なのではないだろうか。
自分の状況
週5仕事+腱鞘炎の中やってた。
ほぼ毎日プレイしてたかも。
ビデオ取るのは面倒だったのでしなかった。
解説動画を見る時間合わせたら2000時間くらいやってそう。
環境やデバイス
マウスは多ボタン
キーボードは家にもともとあった、静電容量無接点方式のもの ↓の古いモデル
ディスプレイはBenQのいいやつ使った
椅子はゲーミングチェア。これの2019年版仕様
マウスパッドは普通の
マウスグリップ使った
弟
私から誘ったけど、彼はそこまでやる気なく、環境も特に整えたりしていない。
基本私がIGLとなり、全オーダー的確に出さなければ、厳しいという感じである。
見える世界の変化
始めたばかりのときに、クレバーで撃ち抜かれたのが懐かしい。
1800時間プレイすれば、客観的に自分のプレイ・相手のプレイのどこがだめだったのか、解説できるようになる。
この領域からは、90%くらいは確実だけど残りの10%をどれだけ精度良く行えるかみたいな領域になってくる気がした。
運も実力の内
season17はマスター人口が15%くらいとなり、すべてのシーズンの中で最もマスター到達が容易なシーズンだった。
season17は「マスターの価値」がどうなんだとは言われるが、マスターはマスターであり、プレデターの一個前である。
他のシーズンだったら、もう500時間くらいかかりそう。
こういうのは、実社会でも往々にしてある。
Apex始めた理由
1. FPSがうまくないことで私の人格が評価された気がして、ムカついたから
人をFPSのうまさだけで評価してはならない。
誰しもそこそこうまくなれる潜在能力をもっていると思うため。
2. FPSをゼロからはじめる過程の観察
それなりにできるようになる過程を観察し、他の物事に応用できるか考察する
ランクで上位帯に行くことを目標とする。
3. チームでの成長過程の観察
今までなんでも基本ソロでやっていたので「チーム」の研究がしたかった。
得られたもの
Apexに限らない「あたりまえこと」であるけど、やってみて改めて体感した。
動機面
- 適当な複数の動機さえあれば、一つの対象に対して1年間で1000時間以上投入可能
- 向いているか・向いていないかは、ある程度プレイしないとわからないし、それまでの別の蓄積によって左右される
- 多分向いてないんじゃなくて、適切に動機づけされてない・何らかの理由で意識が向いてない
- 特定の動作や目標を意識することも大事、とにかくやり続ける「勢い」も時には大事
- 他のことを一時的に疎かにする覚悟がいる。いっぺんに意識できることって結構少ない
協力面
- 「人と協力し慣れている人」が世の中には存在する
- そして、逆に「人と協力するのが下手くそな人」も存在する
- この手の人は、教育から始めなければならなく手間がかかる。
- 協力のための専門用語を随時更新して、共有し、対象領域にお互いに詳しくなるべきである。それができない人は、長い間協力するのは難しくなる。
- 本格的にしっかりやるには、かなりコーチングに比率割かないとあかん
- モチベや動機が足りない人は離脱しやすい
惰性面
- 長く続けていると意地になる
- 長く続けている運で外から見たときに+な評価を得る(よく知っている人は大したことないとわかっても、端から見ればそれなりに見える現象)
- 協力が一番難しい(モチベーションの共有や情報共有、同じ視点の持ちにくさ、伝えにくさ)
- ユーザー体験大事
基礎的な大事なこと
- 毎回のフィードバックと記録・改善大事(結局PDCAかよ)
- 基礎訓練が大事
- 訓練設備も大事だが、素朴な訓練設備しか与えられない場合でも工夫が大事
- モニターや周辺機器も大事
- 多角的視点大事
取れる戦略と自己スキル
自分たちの利点と欠点の把握が大事
とれる戦略が大幅に変わる 例えば、自分らが雑魚すぎて戦闘勝てないので安置外ムーブせざるを得なくなる。
それは嫌なので、戦闘訓練しまくったり、他キャラクター使えるようにするなどの改善をし、選択肢増やす。
健康面
- 腕への負荷がでかすぎ
- だんだん挫けそうになることもあるが、それも一興
- ある意味メンタル強くなる
FPSと関係ない能力面
- 今まで使ってこなかった別の脳の分野を使ってきた気がした(瞬間的に選択肢を大量に出せる現象)
- その御蔭か、瞬発的なコミュニケーションちょっとうまくなった気がした(後述)
- オーダー瞬発で出す必要あるからか?
寓話
Apexの世界線での妄想。
孫「この紫のエンブレムはなあに?」
ばばあ「おじいちゃんは昔、Apexマスターだったのよ」
じじい「運が良かっただけさ」
こんな会話が成立しうるってことですわ。
コミュ力
様々なシチュエーションを場数を踏み意識すべきことを「意識」したから培われている気がする。
揺れゆく意思
続けているとだんだん当初の目的を失っていき、「眼前の敵を倒すこと」が目的となり、それに飲み込まれていく。
遊びだとわかっていても、キレることもあった。
初めたての思いは、消えかかる。
ふと初めた頃を思い出し、自分は一体何をしてるんだろうと感じる。
それでも続けていく「意思」だけはなぜか残っていたと思う。
こういう執念も大事だが、これはかなり個人的特性によるものが大きいと思った。
そして、目的があったとしても、目的に囚われすぎてはいけない。
開放
なにはともあれ、もはや何でもできる気がする。
大体の物事は、訓練と継続に落とし込むことができる。
となると、後は本人の趣向ということになる。
ので、「趣向」「意向」に対して、自他ともに厳しい人間が出来上がってしまったかもしれない。
もうすべてを「お前の選択です」と言えてしまう視点を手に入れてしまった気がする。
ある程度経験した人にしかわからない特殊能力ともいえる「力」を手にしてしまった。
色々キレたりもして大変だったが、とにかく弟とたくさん遊べてよかったです。