2020-09-03 22:39:27
「死亡フラグ 消し方」で検索してみた。結果は芳しくない。
こんなにたくさんの人間がいると言うのに、インターネットオーシャンは一体どうなってるのか。
未来の人類が検索したときに残念に思われないように、少しでも心構えを書き伝えることにする。
自分の脳みそでは、この程度のことしかできないが、他の誰かがもっとマシな何かを思いついてくれるかもしれない。
死亡フラグの代表例から考える
事例「この戦いが終わったら俺、結婚するんだ」
まずは、愚直に回避する方法を考える
- 言わない→死ぬこともないが、認知すらされないリスクがあるが、後に重要人物となる可能性が残される
- ギャグテイストな発言をする→ギャグテイストにすることで生き残る(または次回生き返る)
- 考え方・性格を正す→自己の認識を改める。戦いに参戦すべき人格なのか、生き残れる性格特性をもっているのかの自問自答
その他の問題として、
- 自己犠牲意識の高さ
- なぜか戦いに参加せざるを得なくなってしまったある意味での不運
- 状況をコントロールできなかったため
正直、時代や住んでいる地域などの環境要因はどうにもできないことのほうが多い。
我々は諦めなければならないのか。
なんとなく見えてきた方向性
ありがたいことに、死亡フラグは、基本的に過去の話や物語に出てくるものである。
現代ではちゃんと映画や漫画などみて、どんな言動をしたら死亡フラグが立つか。を学習できる。
先程のべた通り、それぞれの時代では、それが叶わなかった者たちもいるが、
現代では、過去の数多の事例を参考にすれば今後の新しい死亡フラグを認知し、回避することができるかもしれない。
結局は、自らが死亡フラグを立ててしまわないようにするには、事例とその背景を学び、自己認識を改めることが大事という気がしてきた。
現代においては、死亡フラグをおもむろに立ててしまうような思想を持っている本人がいけないと思う。
そうじゃなくて
いやいや、未然に防ぐのではなく「消し方」を知りたいのである。
知りたいのは、すでに振りかざしてしまった件をまた鞘に戻すことは可能なのか、である。
先程述べたように、言ってしまうような本人がいけない。
なので、第三者の手によってフラグをへし折れないかをもう一度考えてみよう。
1つの例に絞って考える。
再び事例「この戦いが終わったら俺、結婚するんだ」
こう言ってしまうのは満身からである。緊張感が強いられるような場で、うらやかな気分でいるからだろう。
お相手とのお花畑な未来を想像し、子供何人ほしいなあだとか考えているに違いない。
これを仲間内に言ってしまうっていうのも、軽率である。
兵士というのは、ひとつのミスが自分の死に直結する。
周囲に発言者をよく思わないものも要ることだろう。
将来を約束したパートナーがいない人も、周りにたくさんいることだろう。
そのような現場で空気の読めない発言は、嫌なやつとみなされ、妬みやそねみのような感情の標的となり、優先的に死んでいい奴と周りに認知される可能性も出てくる。
もちろん、親切なやつもいるだろうが、リスクが高い発言だということを認識した方が良い。
おそらく、発言者としては、「俺は結婚するんで、婚約者を置いて死ぬわけにはいかない。配慮頼むわ」
というような意図もあるのだろうが、この時点では発言だけで、行動としてはまだ示せていないので、あまり有効ではないと思う。
...というようなことを伝えれば、周囲の意見を代弁することになり、
嫌味なやつ代表として味方のヘイトが自分に移る。
そうすると「どんな場でも結婚はおめでたいことなのに、何を言うか」という空気感が生まれ、一致団結につながる。
こういった空気づくりをしておけば、死に至るような局面をなんとなく回避できそうな気がする。
というわけで、「ネチネチと正論っぽい嫌味を言う」のが、いろんな場面で死亡フラグ回避に繋がりそうな気がしてきた。