定義
- 子供の対義語としての「大人」
- 大人の対義語としての「子供」
例えば、一人前に成人した人。のような定義で言えば、20歳(最近は18歳か)になっている人。というように言える。
実際のところ、どこからどこまでとなると、そんなのは誰も知らん。
気づいたら「成っている」し、「成っていない」とも言える。
モヤモヤポイント
婉曲的表現としての「昔から変わらないね」「子供のままだね」「全然変わらんね」をはっきりと揶揄のように感じてしまう今日このごろ。
「しょうもない大人になっているね!」
と嬉々として言ってもよいのではないだろうか。
こうなってくると「しょうもある大人」って何なのかって話になるが。
「全然何も変わってないわ」という話を持ち出して、みんなそうでしょ?みたいな空気感を作り、自分の間抜けさや至らなさをガードしようとする行為をしない人が、「しょうもある大人」の称号を獲得することができるのだろうか。
「全然変わらないな」を「みんないっしょ」みたいな空気感込みで話されたがゆえに、お前と一緒にするなという気持ちが芽生えてそう思っただけかもしれんが。
たまに、「よい部分は変わらないね」的な良いニュアンスでのそういう表現も有るから、難しいところ。
とにかく大人もこどもも言葉として囚われてはいけないなとは思った。