2022-03-30(水 家で母と弟とビールとワインを飲んだ。
その時一番影響呂kがある人間に合わせて、一番最適な形にするっていう減少
基準っていうのは、パニらない。
トレースしてる感じになる。
なぜかっていうっと、それが一番穏便になる予感がするため。
そのときどうにもならなかったのは母、だったのだが、その母を基準に、自分の感情を晩ランスよく表現しているっていうのはある。
ってことは本当はそれがしたいわけでもなう、そうしたいわけでもない。
複数のことを考えることができなくなる
ため、理性を働かせるのには一個一個考える必要画でkる
これってスマブラが強くなったことにめっちゃ似ている。
で、ソホほかは全部捨てる。
たとえb,自分の表情や動きは全部捨てていま、こうやって文字を書いている。
これは、正確に何かあとで判別できるようにというよりは、とりあえずありmのまま起きた子をを後の自分伝えたいとウイウ意識が強い。
凡例
弟が球種的って言ったときに、 9種っていういみだた
理性を放棄させる方向性
考えるとストレスがかかるというか、生理的に気持ち悪くなるため、酔っ払っているときは、色々発言できなくなったり、理性的な昨日がそがいされた利してしまう。
ってことで、通常の人間は、ある一定の冷静な思慮をはさみつつも、「もういいや」という感情のもと、「酒飲むってこういうことしてもいいってことだよね」という免罪符のもと行動することができるようになり、飲酒時の奇異な行動が助長されるというわけである。
ってことで、酒飲んでいるときは本音がでたり、普段やってみたいことができなかったりっていうのはある程度本当だとは思った。
酔っ払いがしそうなことは全部やっていいっていう安心感
- 酔っぱらいの像
- 酔っ払っていない人の像
この2つが存在する
で、酔っ払うことによって、蓄積してきた、酔っ払っている人の像っていうのを全部やっていいっていう考え方にもなってきた。 酔っ払った人のあるあるが全部できるので楽しくなっちゃってる。
で、そういう人もそういうふうに実際になるっていうのがなんと したがって、 目を礫話を聞いたり、大きくため息を付いたり、途中で揺れたり、饒舌になったりができる。
よっていることを肯定し始めたがゆえに
今酔っているっていう主張自体も 例えば、湯
よっぱらっているこtによって
こういう振る舞いをしますっていうことができる。 それに加えて、
酔っ払っている状態でよっぱれあっている状態を醸し出すっていうのが楽しい説
酔っ払っている状態で、よっぱらっているというか、なんかキモい状態を心の間待っている感じである。 酔っ払っている状態でも、上司の前で理性をめちゃくちゃ働かせている。
なので、何もかもオープンにしても大丈夫っていう状態で酔っ払うと、何かが変革するっていう話。
酔っ払っているがゆえにそれをいうことができるっていう
酔っ払っていなくても言えるってのはある
しかし、世の中には、酔っ払っていないと言えないっていう必要がある。
ということで、酔っ払っているから、
相手に伝えたいことがあったときに酔っ払っていることで、相手が肯定することができるっていう、そういうのを手にしたってことだろ
飲んだものメモ
- ワイン3はい
- ビール2はい
わざとしゃっくりができる
わざとしゃっくりが、できるようになり、それがまかり通るようになる。
概要
酒を飲んでいるときに、」客観師を」めちゃくちゃするこ。
ホッカの人が客観視できていない、それでもって、粗暴な発言をする。。
それが嫌だった。
よっぱれっているふりを許容しようとして酔っ払っているふりをしている
3割くらいは理性があるので、それと相まって。
せっかくなんで、「あーとかいっちゃう」
脳に供給される酸素を増やす
非理性的な人に対して、理性的であろうとする意識がはたらき、酔払ている状態で、理性的感を出す働きがある。 これは、饒舌になる、キュに客観的な分析を歯始めまくる。
以上のような状態が現れたときに、
初期では、演出しなかったが、色んな人の
- e次めちゃくちゃ飲んで、待ったう饒舌にならない。
- そういうモード になっているっていう。
よっているがゆえにそういう状態になるっていう話
宣言することによって一瞬で酔を覚ますことが出る
しかし、集中力をあげようとすると、吐き気を催す
それによって
はきけをもよをすことをn避けるような行動をする
吐き気を避けたいがために集中力をあげようとすることを妨げる。
したがって、
例えば、キーボーどを売っているときに、めちゃくちゃうなだれtw,ほとんどかんがえをつかわなずに、目をつぶりさらにドンキーを売ってみるの課金しないような状態になる。
酔っ払ってもキーボードが打てる状態
こういうのが不思議だっていう藩士。
酔っ払っていることを無効化しているような行動
理性的な行動をする事によって、「酔っぱらい」という観念上の性質を打ち消そうとしている。
私は今、酔っ払っている。現状は誤字をある程度訂正できるようには、理性が働いている。
しかし、理性と酔っ払いは共存できるものである。
ぎりぎりの理性というものは常に存在していて、がんばればその理性を維持することができる。
しかし、それを維持しようとしても、めちゃくちゃな吐き気と物理的披露が発生する。
したがって、それによって流した状態で、理性を働かせるような意識が働くことになる。
それによって、よっぱらいの性質が助長され、「むだにしゃべったり、ホラー地味た表現をすることになる。
で、理性を保つ行動をすると、別の理性が働かなくなるため、滑舌に意識が回らなくなったり、
自分の考えていることが漏れ出ても意に介さないような状態になったりする。
まとめ
よっぱらっているときは、自分の理性を保つために、他の冷静を犠牲にして、何かをすることができる。
例えば、今、誤字少なくタイピングをしているのは、酔っ払っているからで、他の理性は犠牲になっている。
例えば、今は誤字なく、感じたことを正確に書くという理性は働いているが、
他の人に自分が思っていることをがダダ漏れになることを恐れ、それを言わない理性は働いていない。
また、そういったパーソナリティが洗剤ティにアピールできる格好のバデルと感じてもいる。
で、今回の場合は、家族なので、家族以外の人に対して、これをする練習として感じている。
結局すべての振る舞いは、自分の向かいたい方向にながれているようなきがしてならない(ちょっとオカルト)
できるのはよっているから、