卑猥の根源

2018-10-10 22:10:22

カルピスを飲んでいてふと思った

人間はよくもまあ物事を卑猥に捉えるものである。

と。

人間そのものが卑猥の起源であることを忘れ、突如現れた「象徴」に反応する。

そしてその象徴は、自分自身によって生み出されていることを、時として忘れる。

卑猥の根源が、卑猥と言っている様が滑稽である。

間違えないでいただきたいのは、その対象を「卑猥」と捉えるのはその人の精神、その者自身である。

※当然、誰かが身振り手振りを使って意図的に「卑猥」を演出していたり、人間が意図を持って創作物が卑猥に見えるようにしたりすることもある。が、究極的には、「本人」が「卑猥さ」をなにかに認めている。

あえて「卑猥」と考えたり、発言したりするのは、対象の特徴の一部を抽出し、抽象化・単純化の作業である。 実は、非常に高度な精神的活動をしていると言える。

最後に

以下のように考えると、自己を内包する形状を見て反応するのは、当然のことかもしれない。

つまり、ち◯ち◯がち◯ち◯っぽいものを見て、「仲間」と感じ、反応するようなことなのかもしれない。

私には知り得ない、深淵が存在するような気もする。

今後もしっかりとトレーニングを積んで、様々な対象に精神的営為を反映していきたいと思う。